遠藤 仁司さん(Iターン 43歳)

2010年横浜市からIターン
家族構成:夫婦・子ども1人(3歳)
職業:花卉農家

沖永良部島出身の上司の話を聞いて

夫婦二人ともダイビングが好きで、沖縄の離島を訪れては「島でくらすのもいいね」という話をしていました。
職場に沖永良部島出身の上司がいて、島の話を聞き、一度行ってみたいなあと思っていました。
そして2010年5月に沖永良部島を訪れました。

その時に、今でも忘れられない出来事があります。
ホテルから屋子母海岸を目指して歩いていた時に、突然雨が降り出してしまい、困っているところに1台の車に拾ってもらいました。
すれ違った車で、雨が降ってきたので心配になって引き返してきたというのです。
びっくりと同時にうれしくありがたく、人情味あふれる島だなぁと改めて感じました。

沖永良部島で農業をしたい!

南の島への移住を考えていた頃、勤務先が早期退職制度を募集していたので、沖永良部島に移住し農業をしたいと本気で考え始めました。
その3か月後に、本格移住に向け、再び沖永良部島を訪れました。

農業者ブログで知った農園へ見学に行くと、ちょうど人を募集しているとのこと。
その場で働きたいと伝え、2か月後から雇ってもらうことになりました。

今思えば、いろんな場面でタイミングがよかったなあと思います。

集落の人との交流を求めて

住む家は役場に相談しました。
職員の方が熱心に探してくれて家を借りることができました。
最初の家には2年住みました。

島ならではの集落の人との交流を求めて、中心部ではなく、人口が少ない集落で家を探すため、町の空き家バンクに載っていた大家さんに連絡し面談することになりました。

面談の時には、島出身の農園の同僚が「どこの誰だかわからない人に簡単に家を貸さないと思うから私が付いていってあげる。」と一緒に行ってくれました。
おかげで話がスムーズに進み、家を借りることができました。

その集落は、将来、農園を独立し花卉農家になり、この辺りに畑を借りられたらいいなと話していた集落だったのです。

引っ越し後は、集落活動に積極的に参加しました。
今では集落の伝統踊りを踊れるまでになり、集落の方々とは親戚同然の付き合いをさせていただいています。

農地を確保!

農地を持っている大家さんに自分が描いているビジョンを伝え、「畑を貸してほしい」と毎年口説き続け、2015年1月に農地を貸していただけることになりました。
農業をやりたくても畑が借りられず、困っている人がたくさんいるという話を聞いていたので、畑を借りることができた私は、本当にラッキーでした。

2015年8月に、新規就農者認定制度を受け、5年間、花農家としての技術や仕事のノウハウを学んだ農園を独立し、就農準備を始めました。

10月には、県の農業普及課の新規就農者向け融資を受け、平張りなどの設備を整え、苗を植えました。
いざ自分たちだけで始めると苗の成長が遅く感じ、ちゃんと育つのか今から心配です。
それでも、せっかく実現できた島での農業。
これからも良い花を作れるように頑張りたいとます。

生活レベルは変わらず

生活面では、都市部に比べ収入が少なくなり、島の物価も比較的高いですが、支出が少ないので生活レベルは変わらないです。
都会での生活と比べると時間にゆとりができ、気持ち的にもゆったりできている感じがします。

子育て環境は、島の少ない生徒数で小学校、中学校と高校と育って、都会の厳しさに耐えられる精神力がつくのか心配でもあります。
しかし、同年齢だけでなく、お兄ちゃんやお姉ちゃんと一緒に育っている感じがしてとてもいいと思います。