地域おこし協力隊募集:求む!海の幸から島発ヒット商品を生むシーフードプロデューサー

沖永良部島で働く地域おこし協力隊を募集

このたび、鹿児島県、沖永良部島(おきのえらぶじま)和泊町で地域おこし協力隊を募集!課題は、島で獲れる水産物を使った商品開発と販路の開拓。島内外での需要を掘り起こし、島の漁業の未来を拓けるチャレンジングな『シーフードプロデューサー』を探しています。

本記事では、沖永良部島の魅力、漁業の現状と課題、求める人物像について紹介します。

 


▲赤、緑、そして青がアイコンカラーの沖永良部島。(写真提供:和泊町)

 

ふたつの海に囲まれた花とサンゴの島から

「今朝は大漁ですよ!シャッターチャンスです!」

スマホからよく通る声がする。構えていたカメラを下げてセリ場へと駆けると、いかにも南国的なカラフルで見慣れぬ形をした魚介類が並べられていた。

▲アカマチ(ハマダイ)は高級魚のひとつ。

▲ほかにはシイラやキハダマグロや、

 

▲地元でもよく食べられるアサヒガニなどがある。

 

いつか誰かが「南の魚が色鮮やかなのは、太陽光を吸っているから」と話していた。おとぎ話のようなことを言うと思ったが、朝日に照らされたコンクリートの床の輝きには妙な説得力がある。あと数日で12月なのに、太陽が最後の力をふり絞りミンミンゼミを鳴かせる。
ここは九州南西部、奄美群島に位置する、沖永良部島(おきのえらぶじま)。沖縄本島から与論島を挟んだ場所にあり、歴史的に薩摩よりも琉球の影響が濃い。軒先にシーサーがいる家も珍しくなく、食文化もほぼ同じ。お年寄りが本州をヤマトと呼ぶあたりもそれらしい。

人口は12,120人(2020年12月時点)。東に和泊(わどまり)町、西に知名(ちな)町が並ぶ。赤土とサトウキビ畑のコントラストが目立つ、東シナ海と太平洋に挟まれた島。オカリナの形で、冗談交じりに「ナイキのマーク」と言う人も多い。太古にサンゴ礁の隆起により生まれたため琉球石灰岩で覆われ、毒ヘビのハブがいないのはその地質ゆえとも言われる。

▲空気はもちろんきれい、晴れの日には満天の星空が約束される。(写真提供:和泊町)

 

▲200~300の洞窟が地下にあり、ケイビングも楽しめる。中央の影は人。(写真提供:沖永良部島ケイビングガイド連盟)。

 

そんなハブの不在も影響しているのか、島民性は「おっとり」、農業中心のためか「根気強く」「シャイ」。忘れてはいけないのが「ジョギング好き」。毎年3月に行われるジョギング大会の島民参加者数は、2000人前後にのぼる。なんと、およそ6人に1人が参加する計算だ。もっとも今年は、コロナ禍であいにく中止になってしまったが。

▲2019年度に開かれた『花の島沖えらぶジョギング大会』の様子(写真提供:和泊町)

 

田舎だが、空路と航路ともに沖縄や鹿児島とつながっており、大型スーパーもある。観光よりも農業人口が多く知名度も低めで、「ほどよい規模で落ち着ける」と最近は若い移住者も増えている。台風のときだけはちょっと大変、いや場合によってはかなり大変だけれども。

「こんなに晴れた日はたくさん魚は獲れないんですが、珍しいですね」

先ほどの電話の主は、和泊町役場職員の安田拓(やすだたく)さん。Uターン後に入庁12年目、経済課に所属し現在は島の漁業が抱える課題に取り組む。ガッシリとした体格とよく通る声が印象的な、名刺に書かれた『情熱営業マン』の通り情熱と行動力の塊のような人だ。

▲和泊町役場にて撮影、収穫期を迎えた町花のテッポウユリといっしょに。

 

▲安田さんは、今回募集する地域おこし協力隊隊員のマネージャーになる人物だ。

 

 

時代とともに疎遠になった島魚と島人

沖永良部島のセリは、日曜を除き毎朝9時に行われる。

▲9時になる頃には仕入れに来た仲買人たちで溢れ返るセリ場。

 

▲セリがはじまり、今日揚がった水産物がセリにかけられる。

 

仲買人は、島の鮮魚店や飲食店、あとは片手で数られるほどの大型スーパーの担当者。店で扱う鮮魚の質が、味はもちろん、店の評判と、長い目で見れば将来だって左右する。ましてや今のコロナ禍。『おっとりでシャイ』という島民性も、勝負の場では入り込む余地なし。

目利きたちの鋭い視線が鮮魚たちに注がれ、値が決まったら鮮度を落とさないうちに売りさばかれて、それぞれの店へ持ち帰る。30分も経つ頃にはセリ場から魚も人も消えていた。

セリというものを初めて見たが、「盛況だなぁ」というのが素直な印象。

だが実は、ここに出され島内に行き渡る水産物は漁獲量全体の1/3程度に過ぎない。残りの2/3は沖縄と鹿児島へほぼ半分ずつ送られる。外洋に囲まれた島でありながら、島民が地魚を食べる機会は決して多くない。だが魚が嫌いという訳でもない。なんだったら『島外に送られる一方で、島外から送られてきた魚を食べている』という不思議な現象が起きている。

味の嗜好が変わったね。アカマチ、アオダイ、ミーバイ、昔は売れたけど今は年配者しか買わなくなった。現代人はマグロとイカと…カンパチとか。なんせ魚を知らない」。島魚を売り続けてほぼ半世紀、仲買人の池田芳枝(いけだよしえ)さんは島民の味覚の変化をそう評する。

▲アオダイの皮のから揚げは伝統的な島料理、甘く、臭みがない。

 

▲子どもたちもお店は気になるけれど…?

 

背景には、国内の流通網が広がり、食の選択肢が広がったこともあるだろう。今や海外から仕入れる分にも苦労は少ない。太古の昔から長く長く、本土とは海で隔てられていた離島にとってあまりに大きすぎた時代の変化。その利便性が皮肉にも、島民と島魚の間に新たな隔たりを生んだ。それに伴って生まれた『漁業人口の減少』が、今島が直面している課題だ。

この12年で、漁師を本業とする正組合員の数も45人から32人と3割減。もともと島は農業が盛んで農家と漁師を兼業する人も多く、相対的に漁業人口は多くない。だが島の人口減少と少子高齢化からさらに減り、そこにダメ押しのコロナショックで島外の需要も落ち込んで、危機意識は最高潮に達している。

しかし、これまで島の漁業関係者が何もせず手をこまねいていた訳ではなく、むしろ10年以上前から巻き返す手筈を整えてきた。その大勝負で迎え入れるキーパーソンが地域おこし協力隊として迎え入れる人物であり、もしかするとそれはあなたかもしれないという訳だ。

▲海鮮料理店『漁り火』店主の山田さんは、仲買人でもあり、漁業権を持つ漁師でもある。

 

▲『漁り火』のお造り、島では伊勢海老も獲れる。

 

島の漁業の未来は、『商品開発』に活路アリ。

カジキマグロやソデイカなんかだと、漁師が一週間かけて南大東島(沖縄県)まで行くんですよ。10kg級のソデイカなんかは一本1万2000円~3000円もの値が付いて、回転寿司のネタによく使われます」

▲沖永良部島漁業協同組合で組合長の東さん

 

重厚で落ち着いた声の主は、沖永良部島漁業協同組合で組合長を務める東善一郎(あずまぜんいちろう)さん。関西で生まれ育ち、30歳で両親の故郷である島に帰り40年あまりが経つ。民生委員や議員、町の議長を経て、平成21年から現職に就いている。就任直後から島の漁業の未来を案じ、島内外への自身のネットワークを活かして対策と準備を進めてきた。

 


セリ場に残されたソデイカのゲソは、その象徴と言える。これは正確には売れ残ったのではなく、一定以上の値がつかなければ漁協が買い取りストックしている。目的は3つ。1つめは、島の行事のため。2つめは、台風などにより流通リスクが常に伴う、島における危機的状況を回避するため。そして3つめが、大きく新たな市場を見据えた『商品開発』のためー。

▲漁協に併設された加工場「なびぐみ(近くの地名に由来)」

▲2020年には、干物を生産できる特殊冷風乾燥機などの設備を導入。

 

東さんは語る。

「これまでにも実験を繰り返してきました。たとえば東京の居酒屋チェーンと取引してみたり、要望に応える形で、島内で加工できるよう大型冷凍庫や鮮度を保持する装置を整えてきた。(水産物に混じった異物を除くための)金属探知機や大型の真空パック装置、干物をつくる冷風乾燥機もある。それらの設備を使って日本中で買い求められるような商品をつくり、『供給が間に合わないよ』というところまで持って行ける方に来てほしいと思います」

もう一人のキーマンが、現場の実務全般を手掛ける総務部長の宗岡裕介(むねおかゆうすけ)さんだ。「どんな人物に来てほしいか」と尋ねると、実情を交えながら語ってくれた。

▲シイラを持つ宗岡さん。

 

『商品開発できる人』が第一ですね。まずは島内で売れる商品をシッカリとつくって、島外へPRしていく。設備があってもこれまでは、漁協職員は事務作業が中心で、たとえば何匹か干物をつくってみるのに半日かかって同じ時間分の業務ができなくなってしまっていました。その点では、調理経験があれば助かるし、検証データの管理もしてもらいたいです」

 

▲冷凍庫の中を見せてもらった

 

求められる力は大きく3つ。『おいしく加工できる”調理経験”』『訴求力の強い商品を生み出す”開発力”』『需要を探り販路を開拓する”マーケティング能力”』。飲食メーカーや、飲食店でのマネージャー経験などが活かせそうに思う。そしてこの環境では、何よりも…。

『島暮らしに興味があること』です。(地域おこし協力隊の任期である)3年を終えたあとも、軌道に乗せられていれば漁協として継続雇用したいと思っています。なので島に移住したいという思いを一番持っていてほしい」

任期終了後に継続雇用の可能性があることは、地域おこし協力隊という制度においても珍しい特徴だ。自ら課題を見つけて取り組む点では自由度が高い制度ではあるが、とくに過疎地では市場が小さく、任期終了後の独立や就労が必ずしもうまくいく保証はない。島暮らしへの興味を持ち、食品開発に自信のある人には、絶好のチャンスと言えるのではないだろうか。

 

▲おもな職場となる和泊町役場庁舎は、2019年3月に完工したばかり。

 

チャレンジャーたちとの島コラボが隠れた魅力

最後に、筆者が考える、『沖永良部島で働く魅力』についても追記したい。

少し自分の話になるが、私は島にルーツを持つIターン移住者。一部では『孫ターン』と呼ばれるらしい。2020年7月に引っ越したばかりの新参者だが、たびたび驚かされるのが島にいるチャレンジャーの多さだ。IターンでもUターンでも、昔からいる人も、世代や職業などの枠を越えてチャレンジ精神にあふれた人が目立つ。

▲和泊町の地域おこし協力隊、デザイナーの並木建吾さん。ここで働く人の先輩となる。

 

▲東京から移住した並木さん、現在は和泊町の制作物全般のアートディレクションを行う。

 

全くないと言わないまでも、とくに仕事面では田舎のネガティブイメージにありがちな保守的な声に触れる機会は少ない。それはここが離島で、明治期からテッポウユリの球根をイギリスやアメリカといった外国に輸出し、戦後には関西を中心に出稼ぎ者が多かった挑戦の歴史があり、その流れが移住者をも巻き込み今も紡がれているのではないか。私はそう考えている。

▲沖永良部島は、春にはテッポウユリをふくめ様々な花が咲き誇る『花の島』。(写真提供:和泊町)

 

この仕事、期待値が高い分、プレッシャーを感じる人もいるかもしれない。調理経験、商品開発力、マーケティング能力、求められるものも少なくない。『興味はあるけど、難しそうだ』。しかし安心、いやむしろ楽しみにしてほしいのが、あなたが全力で取り組み、求めるなら、島にはきっと仕事の垣根を越えて力を貸してくれる人がたくさんいるということだ

▲島で生み出された豊富な商品の数々、アイデアマンやクリエイターも多い。

 

 

沖永良部島には、そうして生み出されたものがたくさんある。チャレンジ精神をむき出しに、そんな『島コラボ』にワクワクできる人なら、すでに向いていると言えると私は思う。

また、協力隊としての職務に影響のない範囲で兼業が可能。相乗効果が見込める働き方であれば、島や水産業を軸に積極的に活躍のフィールドを広げていくこともできるだろう。

 

▲安田拓さんと、経済課のみなさん。※業務中はマスクを着用しています

 

安田さんは言う。

島の漁業の未来を拓けるチャレンジングな方を探しています。島内外での需要を掘り起こし、島の恵みと海人(うみんちゅ)の想いをカタチに変えてほしい。新たな価値と魅力で『人と人』を紡ぎ、一緒に沖永良部島の進化へ挑戦していきましょう!

求む!南の島のシーフードプロデューサー。

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取材・撮影・執筆:ネルソン水嶋(島内在住ライター)

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和泊町HPはこちら!
鹿児島県和泊町ホームページ

沖永良部島の観光・生活情報についてはこちらから!
沖永良部島 観光案内|おきのえらぶじま観光協会【公式】
沖永良部島 和泊町の移住情報サイト「くらすわどまり」

地域おこし協力隊(シーフードプロデューサー人材)募集要項

■業務概要と募集人数
水産加工担当(雇用型)として、下記業務を中心に取り組む人材を1名募集します。
①水産加工品の開発、販路開拓
②鮮度保持技術の確立
③水産業の情報発信
④えらぶ漁業集落の運営サポート
⑤農林水産物加工品アドバイザー業務 ※2年目以降

■応募要件
次のすべての項目に該当する方が対象となります。

・条件不利地域(注1)を除く三大都市圏内(注2)の都市地域又は政令指定都市から生活拠点を和泊町内へ移し、住民票を異動することができる方。
・鮮魚を捌くことができ、業務に係る資格取得の意志がある方
※調理師免許取得者や食品衛生責任者、飲食サービス店又は宿泊施設(調理)勤務経験者歓迎。
・地方公務員法第16条に規定する職員の欠格条項に該当しない方
・原則、年齢20歳以上の方。
・心身ともに健康で、誠実に職務を行うことができる方。
・パソコン(メールの送受信、Word及びExcelの操作)の操作が出来る方
・普通自動車運転免許を所持している方
・柔軟な思考を持つ方
・コミュニケーション能力に長けた方
・最長3年間の活動期間終了後も、和泊町に定住し、就業又は起業する意欲のある方。

(注1)条件不利地域とは、過疎法、山村振興法、離島振興法の指定地域のこと。
(注2)三大都市圏とは、東京圏(東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県)、名古屋圏(愛知県、岐阜県、三重県)、大阪圏(大阪府、兵庫県、京都府、奈良県)の総称。

■勤務地(活動地)
・和泊町役場(沖永良部島漁業協同組合)

■勤務時間
・勤務時間:8:30~17:00(7時間30分)
・原則週5日勤務
・休日:土・日・祝日、年末年始、慶弔、年次休暇(任命時期等で異なる)
※休日出勤の場合は平日に振り替え

■雇用形態・期間
・隊員の身分は和泊町会計年度任用職員とし、地方公務員法に基づき和泊町長が任命します。
・任用期間は1年間とし、面談及び人事評価により、最長3年間まで再度の任用ができるものとします。
・協力隊員としてふさわしくないと判断した場合は、任用期間中であっても任用を取り消すことができるものとします。
※任期満了後、沖永良部島漁協での継続雇用については、それまでの事業展開や活動状況などを総合的に判断し、検討します。

■給与等
・月額166,000円
※実績に応じて翌年度以降昇給有り。
・社会保険完備(健康保険・厚生年金)
・期末手当(6月、12月)
・自宅から2km以上5km未満の場合に月額2,000円、5km以上の場合に月額4,100円の通勤手当あり。

■待遇・福利厚生
・協力隊としての職務に影響のない範囲で兼業は可能です、事前に届出が必要となります。
・住居は町が借り上げし、貸与いたします。
・活動に必要な消耗品及びパソコン、車輌(公用車)、出張旅費等は、予算の範囲内で町が負担します。
・業務に必要な資格取得費補助制度有り。

・隊員側で負担する経費は下記の通り。
①本町までの交通費(面接時を含む)
②引越し費用(運送費)
③自己都合による帰省費用・旅費・その他経費
④生活に要する水道光熱費
⑤自家用車(自動車・バイク等) ※本町での生活では移動手段として自家用車(自動車・バイク等)は必要不可欠ですので、個人で用意してください。

■募集期間
令和3年1月8日(金)~令和3年3月31日(水)
※ただし、応募状況によって、定員を満たした場合は事前周知なく締め切らせていただくこともありますので、お早めに応募書類を郵送ください。

■応募方法
・市販の履歴書(顔写真添付)に必要事項を記入の上、地域おこし協力隊応募用紙、居住地を確認できる書類(住民票抄本又は免許証及び健康保険証の写し等)を添えて、下記の応募先まで送付してください。
※職歴については詳細に記入してください。
※居住地を確認できる書類(住民票抄本)
※提出書類は返却しません。

■選考方法
・第1次選考:書類審査 ※随時
応募者全員に選考結果を文書で通知します。

・第2次選考:面接:※第1次選考合格者のみ(実技試験)
第1次選考合格者を対象に和泊町にて面接及び3者(受入地域、応募者、行政)マッチング協議を行います。
※第2次選考に要する交通費及び宿泊費等は、応募者の負担となります。
※新型コロナウイルス感染症の状況により、ウェブ面接になる場合もございます。

・最終選考結果の通知
面接者全員に選考結果を文書で通知します。

※和泊町への住民票の移動は、必ず任用日以降に行ってください。任用日以前に住民票を異動させると採用対象者でなくなり、採用取り消しとなります。

■問合せ先・書類送付先
・和泊町役場経済課 水産担当:安田 拓
・電 話 0997-84-3518
・FAX 0997-92-2935
・メール tyasuda@town.wadomari.lg.jp
・URL https://www.town.wadomari.lg.jp/




授業の様子

仕事レポート14:あいことば学習室 室長 林 秀地(はやし ひでち)さん

仕事レポート14:あいことば学習室 室長 林 秀地(はやし ひでち)さん

島の子どもたちに英語のおもしろさを伝えたい、英語を好きになるきっかけになればと、移住2年目に英語塾「あいことば学習室」をオープンした林さんにお話を伺いました。どのこのだれだかわからない人がやっている塾に、果たして子どもたちが来てくれるのだろうか危惧していたそうですが・・・

林 秀地さん

【 林 秀地さん 】

直感で移住を決める

移住3カ月前に、妻の実家近くの多機能型施設で職員を募集しているという話を聞き、2018年4月に沖縄から島へ移住しました。
これまでの人生において、直感でいいと思ったことを選択してきたので、移住することに戸惑いはありませんでした。

林 秀地さんファミリー

【 林 秀地さんファミリー 】

「孟母三遷」の教えのように

3カ月という短期間で移住に踏み込めたのは、一箇所に定住するという意識がなかったのと、子どもの教育に適した環境を選んで住まいを三度変えたという「孟母三遷」の教えのように、子ども達にとってより良い環境があれば、躊躇なく他に移ってもいいと思っていたからだと思います。

英語のおもしろさを伝えたい

移住して半年経った頃から、島の子どもたちに英語のおもしろさを伝えたいという思いが強くなり、移住のきっかけになった多機能型施設を辞めて、沖縄でやっていた英語塾を始めることにしました。

あいことば学習室の外観

【 あいことば学習室の外観 】

英語が公用語だからというわけではなく、英語の考え方、特性を学ぶことによって自分で考える習慣をつけてもらいたいと思いました。

移住1年後に「あいことば学習塾」をオープン

どこのだれかわからない人がやっている塾に、果たして子どもがきてくれるのか不安でした。一方で、体験すればリピーターになってもらえる自信がありましたので、アンケートに回答いただく条件で1カ月間の無料体験を設けました。

2020年から小学校英語が始まるので、タイミングがよかったのもあり、ほとんどの方に継続していただきました。滑り出しは思っていた以上に良かったです。

今年の4月から本格的に授業を始め、3カ月が経ちました。現在、60名近くの子どもたちが通っていて、週に20~25コマやっています。

英語を好きになるきっかけに

英語を好きになり、ある程度の会話力を身につけて、英語に親和性を持ってもらいたいと思っています。最終的には、外国に行っても通じる英語、かっこいい英語をしゃべれることを目指しています。

英語4技能と言われる、話す、聞く、読む、書くの読む、書くは学校でやっているので 、「あいことば」では聞く、話すに注力しています。

カリキュラムは3コース

未就学児を対象にした「よちよちコース」では、歌やダンス、ゲームを通じて英語に親しんでもらいます。

 未就学児の授業の様子

【 未就学児の授業の様子 】

小学生を対象にした「とことこコース」では、英語を体系的に理解できるように、身近な出来事と結びつけて学びます。
中学・高校生を対象にした「すたすたコース」では、なぜそう思うのかを英語で言えることを目指したカリキュラムとなっています。

授業はリラックスして

自分の部屋にいるようにリラックスして、英語に馴染んでもらいたいと室内を工夫しています。

あいことば学習室の室内

【 あいことば学習室の室内 】

「一番楽な姿勢で授業を受けていいよ」と伝えていて、ハンモックに乗ったまま授業を受ける子どももいます。
未就学児が多いので、子どもたちが普段遊んでいる玩具を用いたり、手作りの教材を使っています。

「Diversity for happiness」をポリシーに

「あいことば」のポリシーは、「多様性を認めてみんなで幸せになろう!幸せを多様化しよう!(Diversity for happiness)」です。

近所の公園でゲーム遊び

【 近所の公園でゲーム遊び 】

他人に共感する必要はなく、その生き方は自分に合わないと思ってもいい。ただし、合わない生き方をしている人を否定はしない。そのくらいのスタンスの方がお互い幸せになれるのかなと思います。英語をきっかけに、いろんな生き方を認めるようになったら、幸せになれると思っています。

WEBカメラで授業公開

教室のポリシーを理解してもらいたいのと、親御さんに安心してもらうために、WEBカメラで親御さんに授業を公開しています。
子どもたちが楽しんでくれて、その親御さんが喜んでくれると私自身も嬉しいです。

授業の様子

【 授業の様子 】

幸せを感じる生き方ができそう

島には、何かを始める時に、SNSよりも濃密な人とのつながりが生まれるという環境があります。慣れない方にとって、どうなのかなと疑問に思うこともあるだろうけど、意外に居心地がいいものだったりします。

沖永良部島の風景

【 沖永良部島の風景 】

インターネットや物流が発展した今、田舎でも、離島でも、スキルやアイデア次第で幸せを感じる生き方ができるのではないかと思います。移住して1年、今のところ、子育てもしやすいですし、日常生活も(台風時の停電を除く)不便を感じることもなく過ごせていて、移住して良かったなと感じています。

aicotobacs Instagram

あいことば学習室HP

※2019年6月取材




仕事レポート13:BENTO STAND オーナー 市部 真吾(いちべしんご)さん

仕事レポート13:BENTO STAND オーナー 市部 真吾(いちべしんご)さん

オープン2カ月の「BENTO STAND」のオーナー市部さんからお話を伺いました。2013年に家族で東京から移住してきた市部さん、6年の島暮らしの中で、人とのつながりができ、求められていることが見えてきたので開業を決めたそうです。

市部真吾さん

【 市部真吾さん 】

移住5年目にして開業を目指す

東京から移住して島の黒糖焼酎メーカーで杜氏の仕事をしていたのですが、移住して4年くらい経った頃から、自分自身で開業したいと思うようになりました。
先ず、これまで経験してきた職歴、得意なことの棚卸し、成功例と失敗例の書き出しから始めました。
イタリア料理でのキッチン経験を生かして、飲食業をやろうと思いました。

1年半掛けて事業計画を作り、開業の意志を商工会に伝え、前職を辞める半年前に事業計画を提出しました。
事業計画を詰めていくうちに、店舗を構えてお客さんが来店するのを待つだけだと経営的に厳しいだろう、こちらから売りにも行ける弁当屋だったらやれると思いました。既に数店舗ある弁当屋さんにあえて挑戦することにしました。

DIY魂に火が着く

店舗の候補地は、人通り、立地を考えて4箇所に絞りました。大家さんには「1年後、お店を始めようと思っている。それまでに空いていたら貸してください」と1年前から交渉、今の場所に決めました。

内装工事前の様子

【 内装工事前の様子 】

 

内装イメージ

【 内装イメージ 】

内装工事は、自分達夫婦と友人の3人で2カ月掛けてやりました。
新しいもの、きれいなものをではなく不要になったものをかっこよく再利用したいという気持ちが強く、DIY魂に火が着いて楽しかったです。

 内装工事中

【 内装工事レベル1 】

 

 内装工事進行中2

【 内装工事レベル2 】

 

内装そろそろ完成

【 内装工事レベル3 】

例えば、余ったガス管をドアの取手に、店の床は元々敷かれていたカーペットを接がしたらボンドが残ってしまい、汚い感じもいいのではとクリアコートを塗って使っています。

【 店舗の床 】

厨房設備は、閉店する店舗の機器を1年半位かけて集めたものを再利用しました。

店名はシンプルに「BENTO STAND」

店名は、何をやっているかわかりやくシンプルがいいと「BENTO STAND」にしました。ロゴ、アイコン、オリジナルビニール袋は、デザイナーさんにイメージを伝えて作成してもらいました。

 

BENTO STAND オリジナルビニール袋

【 BENTO STAND オリジナルビニール袋 】

ビニール袋は、捨てられても自分達で回収できるように目立つ黄色にしました。通い袋で使われているお客さんもいらっしゃいます。息子が通っている子ども園では、子どもの達の着替え入れに再利用されているようです。

冷めても美味しい揚げ物を

弁当屋開業を決めてから改めて弁当が消費されている場面を観察すると、島の人たちは揚げ物好きだから揚げ物が多い弁当になっているのだと納得しました。揚げ物を否定するのではなく、冷めても美味しい揚げ物を作ろうと思いました。

サッカークラブの少年達

【 サッカークラブの少年達 】

早速、得意の唐揚げをサッカークラブの少年達に何度か食べてもらいました。その中の自称グルメな子が「この唐揚げジューシーだ!」の一声で、うちの唐揚げの味が決まりメニューの一つになりました。

看板メニューの唐揚げ

【 看板メニューの唐揚げ 】

ひとつひとつ自分の舌で確認

事業計画の段階では、食肉業者さんがどのランクの肉を使っているのかわかりません。値段は違うけど、冷えても美味しい肉、硬くならない肉がどの業者でどの部位かをわかるのに1カ月位掛かりました。
あつあつの時に食べる、冷めた時に食べるを業者と部位ごとに繰り返し、自分の舌で確かめて、この肉はこの調理だと美味しい、この部位はこの調理が適しているとわかるようになりました。

厨房で語る市部さん

【 厨房で語る市部さん 】

オープン前はあれもこれもメニューとして出したいと思っていましたが、時間とコストを考えると断念せざるを得ないメニューもあります。

彩りを意識した弁当

「BENTO STAND」の特長を出すために意識していることは「彩り」です。

野菜は、なるべく地元野菜を使うようにしています。地元産の美味しいトマトのB級品を仕入れて、自家製トマトソースに使っています。トマト畑まで行き「島トマトソースを作りたい」と生産者を口説きました。
知らない人、移住者との取引に抵抗があったようで、最初は取り合ってくれませんでしたが、今では時々店の様子を見に来てくれます。

奥さんのなつみさん

今の時期は、閑散期なので1割くらい残る日が時々ありますが、ありがたいことに計画通りです。6月から、限定企業へデリバリーを始めました。

周りの人達の支えあっての開業

移住して間もない頃に開業していたら失敗していたと思います。6年間の島くらしで地域活動に参加し、知り合いが増え、島の状況がわかり、ニーズがわかった上での開業なので見通しはあります。


オープンして3カ月近くになりますが、島に来てからつながった仲間、周りの人達の支えがあったからこそオープンできたと実感しています。この人達がいなかったらオープンは無理だったなと思う場面がたくさんありました。

雇用創出、障害者が活躍する職場を目指す

将来は、オードブル、折り詰めの受注を考えています。そのためには、調理するだけ、詰めるだけの分業ではなく、「BENTO STAND」のAからZまでを担えるスペシャリストが育ってくれたらと思っています。
更に、「BENTO STAND」の味で信頼を得て、加工所からセントラルキッチンで配送する構想もあります。


加工所は、障がい者が対応できる態勢を目指します。移住して障がい者が身近になり、障がい者の自立の場があればいいなあと思ったのです。厨房で島野菜を下処理している時に、単純作業だけど味にも影響する大事なことなので、そこで障がい者に活躍してもらいたいと思いました。
開業という目標で障がい者が活躍する職場を作る夢を実現したいです。

市部さんご夫婦

【 市部さんご夫婦 】

BENTO STAND Instagram

BENTO STAND Facebook

※2019年5月取材




グラフィックデザイナー要 笑子さん

仕事レポート12:グラフィックデザイナー 要 笑子(かなめ えみこ)さん

仕事レポート12:グラフィックデザイナー 要 笑子(かなめ えみこ)さん

沖永良部島へ移住と同時にフリーランスになった要さん、のんびり島暮らしでだらけてしまうのでは?と心配していたけど、実際の島での仕事は、お客さんの反応をダイレクトに感じることができ、もっと勉強しようという思いが強くなったそうです。

グラフィックデザイナー要 笑子さん

【 グラフィックデザイナー 要 笑子さん 】

田舎で商売するには

島に移住した当初、四国で仕出し屋をやっている母に、田舎で商売していくにはどうしたらいいのかを相談しました。母からは「商工会に入って知り合いを作るのが一番」と言われました。

同じ頃に、商工会に入っている知人からも「商工会に入会しない?」と誘われていたので、移住半年後にデザイン事務所の開業届けを提出して、商工会青年部に入会しました。

商工会青年部メンバーで夏祭りに参加

【 商工会青年部メンバーで夏祭りに参加 】

デザイナーが移住してきたという噂が広まり

商工会メンバーは、デザインの重要性をわかってくれる方も多く、メンバーの方がお客さんを紹介してくれることもあります。島に来た当初、最も多かったお仕事は名刺作成でした。名刺はデザイナーの様子伺いにいいツールだと思います。どんな人に配っているのか、どう思われたいかを聞いて作るようにしています。

かなめデザインロゴ

【 かなめデザイン事務所ロゴ 】

 

【 かなめさん名刺 】

デザイナーが移住してきたという噂が広まり、名刺、ホームページ、ポスター、ガイドブックなどの冊子と仕事の依頼が徐々に増えてきました。

 西郷どんガイドブック

【 西郷どんガイドブック 】

コミュニケーションとリサーチを重ねる

島内の仕事は、全てお任せというパターンが多く、例えば、ホームページを作る場合、サーバー選択、ドメイン決めから始めることがあります。その後に、ヒアリングしながらイメージ、デザインを決めていくのですが、なかなか決まらないことが多く、しまいには「好きなように作っていいよ」と言われることもあります。

 

何も情報をいただけない場合は、こちらからリサーチするしかありません。例えば、飲食店からチラシの依頼があった時に、お店に行って客層はどんな人が多いのか、実際に食べてみて何が売りなのかを自分なりに考えてデザインを提案しています。

デザインに対して明白な何かが提示されることが少ないので、依頼者の顔を見かけると、なるべく声をかけてコミュニケーションをとるようにしています。

エンドユーザーの顔が見える仕事

1年目は、関西時代のつながりからの仕事依頼があり、半分以上は島外の仕事でした。2年目から徐々に割合が変わってきて、今では8割が島内の仕事です。

島に来る前は、島ではデザインの需要が少なく島内の割合はもっと少ないだろうと思っていましたが、予想よりも早いスピードで割合が逆転しました。

どんDONグランプリポスター

【 どんDONグランプリポスター 】

島内の仕事は、エンドユーザーの顔がわかり、反応をダイレクトに感じられるのはいいですね。「あのポスター作ったのね!いいね!」と直接言われると嬉しく、それがプレッシャー、モチベーションとなり、もっと喜んでもらうために、もっと勉強しようと思います。

感動のあまりSNSへ投稿

「こういうテイストのデザインをする人」というイメージが付いてしまう懸念があり、手がけた仕事を自分自身のSNSなどで発信することは少ないですが、島の一大イベントジョギング大会で、自分がデザインしたTシャツを着た2000人余りの人を目の当たりした時は感動のあまりSNSに投稿しました。

ジョギング大会Tシャツ

【 第37回ジョギング大会オリジナルTシャツ 】

島のために何かしたい

美術関係への進学を目指している高校生にデッサンを教える機会があり、その時に先生から島の子どもが置かれている現状を聞き、何かしたいと思いました。この思いは、島に来なければ湧かなかった気持ちです。

自分だったら何ができるかと考えると、絵を描く楽しさを教えることだと思い、臨床美術士の資格を取ることにしました。絵を描くことで脳を活性化させる臨床美術は、認知症や発達障害などこどもケアの分野で効用が期待されていて、高齢者、子どもが多い島で役立つのでは?と思ったのがきっかけです。

介護、保育の現場は未経験なので、いろんな方々のサポートをいただきながら体験の機会を作りたいと思っています。

時には農家さんのお手伝い

余暇に使うお金が減った分、支出は減りましたが、離島ゆえに島外に出る交通費が大きな出費です。

時々、夫が働いている畜産農家で牛の餌やりや、じゃがいも農家さんで芋の選別をすることもあります。肉体労働なのでいい気分転換になります。

 畜産農家で牛への餌やりそしている要さん

【 畜産農家で牛への餌やりそしている要さん 】

普通のお姉ちゃんがデザインをやっている

アーティスト気質の気難しいデザイナーにならないように心掛けています。普通のお姉ちゃんがデザインをやっていて、お客さんの思いを形にしていく事務所だと思って気軽に声を掛けていただければと思います。

島に来た当初、「デザイナー人生で今が一番楽しい!」と青春真っ盛りみたいなことを言っていましたが、現在は、誠実にデザインをやるために、もっと力をつけたい、離島でもこんなことが出来ると島の若者に伝えられたらと思っています。




仕事レポート11:漁師 高 孝一(たか こういち)さん

仕事レポート11:漁師 高 孝一(たか こういち)さん

沖永良部島漁協には、正組合員数が現在33名。組合員の中で最も若い漁師歴6年の高孝一さんから、今回お話を伺いました。終始笑顔で話す高さん、漁師という仕事が本当に好きだということが伝わってきます。自分が語ることによって、若者が漁業に興味をもってくれたらいいなとおっしゃってました。

高孝一さん

【 高 孝一さん 】

漁師になったきっかけ

6年前、東京の会社を辞めて一時的に島に帰った時、漁師をやっている叔父の船に乗せてもらいました。船に乗って2、3日は船酔いが辛かったのですが、1週間すると自分の手で魚を釣り上げるという感覚が楽しくなり、漁師という職業を意識しました。

沖永良部島漁港

【 沖永良部島漁港 】

東京でも体を使う仕事をやっていたのですが、明らかに違うのは決められたことをこなすのではなく、自分で考えてやるということです。

頑張ったら頑張っただけの結果を得ることができ、逆にミスをしたら自分に返ってくるという、全て自分の責任でやることに引かれました。もちろん収入面の魅力もあります。

後継者育成プログラムを利用

鹿児島県の漁業協同組合連合会の新規就業支援制度を利用して、叔父の船で研修を受けました。支援制度の研修期間は1年間でしたが、1年で自立する自信がなく、引き続き船に乗せてもらい、操船の仕方、魚群探知機の見方、GPSの見方、船の故障時の対応など叔父のやり方を見て必死で覚えました。

先輩漁師に見守られながらの初出航

1年半くらい経った頃から自分の船を持ちたいと強く思うようになり、ネットで船を探しました。沖縄と大分に気になる船があったので、現地まで叔父と一緒に見に行き、大分の4.8トンの中古船を購入しました。購入費は、鹿児島県の沿岸漁業改善資金を利用しました。

高富丸

【 高富丸 】

その船には、自分の名前から採った「孝」と、漁師をやっていた父親の名前から「富」を採って「孝富(たかとみ)丸」と付けました。


孝富丸で、2日掛けて大分から帰ってきました。有難いことに、前の船主と改造をお願いした造船所の工場長が沖永良部島まで同乗してくれました。

初出航は、叔父を初め先輩漁師が近くで見守ってくれたのを今でも覚えています。初出航からしばらく先輩漁師が同乗してくれて、心強かったです。一方では、これから一人でやっていくプレッシャーもありました。

メインはソデイカ漁

11月から6月の8カ月間はソデイカ、7月から10月の4カ月間はキハダマグロ、アオダイ、アカマチを扱っています。

アオブダイ・カツオ

【 アオブダイ・カツオ 】

キハダマグロは、奄美群島でポピュラーな旗流しという漁法で釣り上げます。仕掛けに針を6本~7本付けますが、1回の仕掛けで釣れるのは1本20キロ~40キロのキハダマグロが2本~3本です。
漁影探知機に大きなマグロが映った時には、「来た!すげぇのが来た!!」と何とも言えない高揚感があります。キハダマグロは、高価格で取引される時と捕れすぎると低価格になるので博打に近いです。

ソデイカ

【 ソデイカ 】

ソデイカは、水揚げ量、価格ともに平均してよく、安定収入を得ることができます。ソデイカの価格は、ここ2、3年で倍になりました。

いかにして水揚げ量を増やすか

水揚げが思ったようにならない時には、先輩に相談します。どんな道具がいいとか今の時期だとどこで釣れるとか懇切丁寧に教えてくれます。仲間意識が強い先輩達に助けられています。

先輩漁師

【 先輩漁師 】

当然ですが、最新の道具に変えると水揚げ量は伸びます。設備投資は大きな出費ですが、思い切って新しい道具に変えると、水揚げ量、収入が増え、それで設備投資コストが賄え最終的には収入増になります。

水揚げ高を上げるためのもう1つの工夫は、鹿児島、沖縄の2つの市場の取引価格を比較して高い市場に出荷しています。

仕事のパターン

通常は、夜中の1時、2時に出港して、3、4時間掛けて島から25~30マイルの漁場へ行き、1泊2日して翌日の夜中に帰ってきます。1本20キロを15~18本で約400キロの水揚げがある日もあれば、1匹も釣れない日もあります。

水揚げ高は、年々増えていて倍増の年もあります。いつ水揚げ量が落ちるかわからないので、稼げる時に稼ぐことを心掛けています。

家族の存在は励み

稼動は、時化以外はほぼ出港していて年間150日くらいです。休みの時には、道具の手入れ、エンジンのメンテナンスをやりながら、2歳と0歳の子どもとの時間を楽しんでいます。

去年、92キロのクロマグロを釣り上げました。クロマグロを釣り上げるのは1年に1回くらいですが、改めて漁師の魅力を実感しました。

高孝一さん

【高孝一さん】

そのクロマグロを地元のスーパーがセリで落としたので、それを買って家族で美味しく食べました。感慨深かったですね。我が家では、ほぼ毎日魚を食べています。2歳の長男が刺身を美味しいと食べてくれるのは嬉しいです。

漁師を目指している人へ

漁師を目指している方に伝えたいのは、船の上で船酔いを我慢しながら1週間頑張れるかですね。後はやる気と根性です。私自身が何も知らない状態でしたが、3年前から一人で稼げているので、覚悟すればできると思います。

沖の漁場まで行って何が起こるかわかりません。何かあった時には自力で帰ってこなくてはいけません。常に覚悟が必要です。しかし、それに勝る喜びとわくわくの日々があります。

沖永良部島業業協同組合Facebook




仕事レポート10:ポニー食品 竹下 敦史さん

仕事レポート10:ポニー食品 竹下 敦史さん

創業30年のポニー食品2代目の竹下敦史さんからお話を伺いました。ポニー食品では、自家栽培の野菜をはじめ、島でとれた野菜を原材料にした約15種類のお菓子を製造販売しています。
前職の食品商社で培った経験をいかして新しいことにも挑戦したいと、熱い思いを語ってくれました。

竹下 敦志さん

【 竹下 敦史さん 】

家業を継ぐ

5年前、父親に「体力的に限界が来たので、ポニー食品をどうするか考えてくれないか?後を継がなければ廃業してもいい」と言われ、その時に家業を継ぐことについて真剣に考えました。

30年の歴史を重ねたポニー食品の看板

【 30年の歴史を重ねたポニー食品の看板 】

30年続いた家業をつぶしたくないという気持ちと、都会で自分の力を試したいという気持ちが五分五分でした 。食品商社で、お菓子の原材料を扱っていたので、菓子製造の現場は馴染みがありました。
いろいろ考えた結果、都会で学んだことをいかそうと2017年に島へ帰ってきました。

ポニー食品の敷地

【 ポニー食品の敷地 】

島の素材をいかしたお菓子づくり

ポニー食品の創業は、母親が趣味にしていたお菓子作りがきっかけです。創業当初は、どこにでもあるような手作りのお菓子を集落の商店や地元スーパーに卸していました。
島内の小さなマーケットで、同じようなものを作っても採算的に厳しく、途中から島の素材や自分の畑でとれたものを原料にしたお菓子に転換、現在15種類の和洋菓子を製造販売しています。

ポニー食品の工場

【 ポニー食品の工場 】

島の素材を使ったポニー食品のお菓子

【 島の素材を使ったポニー食品のお菓子 】

数字を把握する

帰ってきて先ず始めたのは、商品別の販売量と採算性を毎月把握することです。数字を把握することで、仕入れの見直しやコストダウンがどれ位できるかを考えることができます。

ホテルの売店に陳列されているお菓子

【 ホテルの売店に陳列されているお菓子 】

配達時は、どういうお客さんが購入されているのか、何が売れているのかを自分の目で確認するようにしています。現場に行くと何をやればいいのかアイデアが出てきます。

販路を拡大したい

お菓子の製造は、母親がメインでやっています。母親から技術を教えてもらいつつ、前職での経験を生かして 、新たなことにチャレンジしたいです。

黒糖、野菜など島の素材を生かしたお菓子づくりに特化して、販路は沖永良部島だけではなく奄美群島、沖縄まで拡大したいと考えています。
ポニー食品のお菓子を手にした観光客の方が、リピーターになってくれるケースもありますので、お客さんとの繋がる仕組みを作っていきたいと考えています。

6次産業化を目指す

今考えているのは6次産業化です。新しい農産物を島の特産物にして、それを一次加工品、原材料にしたお菓子づくりを考えています。
6次産業化することによって、一次加工品、原材料、お菓子といくつかのマーケットで販売が可能となりま す。

自家農園でとれたさといも

【 自家農園で獲れたさといも 】

6次産業化は農家との協力体制が必要になります。農家と協業、連携すれば新たなビジネスが生まれ、さらには新たな雇用が生まれ、島全体の活性化につながると信じています。

 

6次産業化は、1事業所の力では難しく、JA、商工会など組織体の巻き込みが必要になってきます。時間が掛かるかもしれませんが、JA、商工会との関係も築いていけたらと思います。

 

儲けるしくみをつくるためには、生みの苦しみがありますが、何か新しいことを始めないと現状のままでは発展しません。時間を掛けて検討していきたいと思います。

結果を出す

経営権を譲ってもらったので、いろいろな面で責任が重くなってくると思いますが、その分やりがいや喜び、達成感も大きいと思います。
熱い思いを秘めつつ結果を出すしかないと思っています。結果を出すために、どうしていくかを常に考えていきたいと思います。

 




仕事レポート9:海の宿スリーハピネスオーナー 森 秀代さん

仕事レポート9:海の宿スリーハピネスオーナー 森 秀代さん

4月20日でオープン5周年を迎えた、スリーハピネスのオーナー森秀代さんからお話を伺いました。
内向的で人と話すことが苦手だったという秀代さんが、ひょんなことから宿を始め、「お客様と話せば話すほどいい人ばかりで、 自分自身の考え方も変わり、宿をやって本当によかったです」と、やさしい口調で話をしてくれました。

スリーハピネス オーナー 森 秀代さん

【 スリーハピネス オーナー 森 秀代さん 】

宿を始めたきっかけ

義母が40年近くやっていた食堂を閉じてしまい、そのままだった建物をリノベーションして、5年前から簡易宿泊施設「海の宿スリーハピネス」をやっています。


宿を始めたきっかけは、食堂を閉じて8年くらい経ってからでしょうか、島を訪れた方の「廃墟のようだ」という投稿を見て、「これはまずい!何とかしなければ!!」と思いました。県道沿いの目立つ場所で町のイメージもよくないだろうし、海に面している地下は誰でも入れるため安全面の心配もありました。

夫婦で何度も話し合った結果

私なりにいろいろ考え、義母がやっていたような食堂はできないけど、宿泊施設をやってみたいと主人に提案しました。
主人は、沖縄旅行で泊まったいくつかのゲストハウスの写真を見せながら、若い観光客をターゲットにしたゲストハウスをやりたいと。
一方私は、沖永良部島は沖縄のように観光客が多くなく、観光客相手だと経営が安定しないので出張客をターゲットにしたプライバシーが守られる個室がある宿泊施設をやりたいと。

なぜ、出張客をターゲットにしたかというと、義父が営んでいる建設業の事務をやりながら、車輌、資材関係の営業の出張員が島に多くいらしているのを目の当たりにしていました。この方々を取り込めたらと思いました。何よりも出張員はシーズン関係ありません。

二人の考え方が違っていたので、どの方向にするかを二人で何度も話し合いました。
最終的には、個室6部屋で共有のキッチンスペースがある今の形に落ち着きました。

共有のキッチンスペース

【 共有のキッチンスペース 】

PRまで手が回らないままのプレオープン

開業資金は、日本政策金融公庫に相談をして事業計画書を提出し、融資を受けました。
工事費の比率から言うと、雨漏りや防水対策などの補修費が大部分でした。図面は主人が書き、内装工事は業者さんにイメージを伝えお願いしました。共有の洗面台は食堂時代の流し台にタイルを貼って使いました。
周りの人達に「いつまでやっているの!?」と言われるほど工事に日数を要しました。

共同洗面台

【 共同洗面台 】

気持ち的に余裕がなく、PRまで手が回りませんでした。PR方法もよくわからず、とりあえずブログを始めたり、ご近所さんに「宿をオープンします!」と挨拶周りをしました。プレオープンには、皆さんがお祝いに来てくれて嬉しかったです。

反省の連続

お客様第1号は、ファミリーでした。ドアを開けたお子さんが私の顔を見て一目散に逃げていったのを今でも鮮明に覚えています。衝撃でした。
話しかけづらかったのかな?きっと怖い顔をしていたんだろうな?と悩みました。反省することばかりでした。

フロントで微笑む秀代さん

【 フロントでお迎えの秀代さん 】

正直なことを言うと、フロントに座って建設業の事務をメインにやって、宿は片手間でできると思っていました。片手間なんてとんでもなく、フロントに座るということは、お客様と対話するということなんですよね。考えが甘かったです。

オープン2年くらいで生活リズムが安定

オープン後しばらくは、お客様も少なく、港の待合所に割引券を置いたり、宿泊のお客様にもどうしたらいいのかと相談しました。お客様にフェイスブックをやってみたらと言われ、やり方を教えてもらいフェイスブックを始めました。

住まいが宿から離れた所にあり、通ってくるのが大変というのもありました。3年前から住まいを宿の隣に移したら、生活リズムが安定して楽になりました。

稼働率は昨年65%でした。事業計画書には稼働率85%と身の程知らずの数字をあげていて、それがどれだけ大変なことか思い知りました。稼働率65%でも十分やっていけます。部屋数的にも適切だったのかもしれません。

海側の個室

【 海側の個室 】

お掃除はベテラン主婦の方にお願いして2人でやっています。オープンから3か月は私一人でやっていましたが、とても手が回らずママ友に探してもらいました。細やかな掃除のやり方をゼロから教えてもらい、勉強になります。

考え方、価値観に変化

自然な笑顔でお客様をお迎えするのに1年以上かかりました。頭で考えると躊躇してしまうことが、お客様とやり取りしているうちに、自然に会話ができるようになりました。
人が怖いというのがありましたが、それがなくなり、お客様と話せば話すほどいい人ばかりで、気がつくと人が好きになり、考え方も変わりました。
宿を始めたのは、子育てにもいい影響が出ていると思います。私自身も仕事を通して成長しているのかなと思っています。


PTAなど子どもの用事の時は、出かけますがそれ以外はほぼ宿にいます。仕事が生活の一部になっている感じです。
お客様に、イラストレーター、翻訳家、研究者などフリーランスの方が多く、組織に属さなくても島の役に立つ仕事があるということに気づきました。そのことを子ども達に伝えたいです。

宿から見える太平洋

【 宿から見える太平洋 】

フリーランスは大変だというイメージでしたが、お客様と実際に話をしてみると自由でゆったりしていて幸せそうです。宿を始めて、いろんなお客様と話すことができ、私自身の価値観が変わりました。

オープンから5周年

観光客も増えてきているので、宿の前のスペースを観光客同士の情報交換の場にできたらと考えています。昨年、試しに頂き物のフルーツトマトやパッションフルーツを数日置いてみたのですが、思っていたほどお客様がいらっしゃらず、入りにくい雰囲気だったのかなと。その反省を踏まえて、今年も夏ごろからやりたいと思っています。

4月20日で5周年になりました。嬉しいことにリピーター、さらには利用されたお客様からの紹介のお客様も増えてきました。ありがたいです。

ベトナム、韓国、フランス、スイスなど海外からのお客様も少しずつ増えてきました。
英語がまったくできないのでゼスチャーで済ませていますが、そのうち英語をやってみたいと思っています。聴覚障害のお客様もいらして、手話もできたらいいなと思っています。
宿の仕事を通してやりたいと思うことが出てきて、宿を始めて本当によかったと思っています。

お持ち帰りどうぞ~の貝殻

【 フロントにあるお持ち帰りどうぞ!の貝殻 】

海の宿スリーハピネス ブログ

海の宿スリーハピネス Facebook

 




仕事レポート8:和泊町立大城こども園 保育士 福島 亮さん

仕事レポート8:和泊町立大城こども園 保育士 福島 亮さん

和泊町には、生後6か月から小学校就学前までの乳幼児を受け入れる保育園が1つ、子ども園が3つあります。
その中の1つ、大城子ども園で保育士をされている福島亮さんからお話を伺いました。
子どもたちが元気に遊びまわっている園内は、あたたかな気持ちになる居心地のいい場所でした。

 福島 亮さん

【 福島 亮さん 】

保育士になったきっかけ

子どもの頃から近所の小さな子どもと遊ぶことが好きで、小学校の卒業文集に将来は保育士になりたいと書きました。
当時は保育士と言えば女性しかいませんでしたが、気になりませんでした。

保育士になりたいという夢は、中学、高校になっても変わらず、高校卒業後は奄美大島の専門学校へ進み、保育士、介護福祉士の資格、幼稚園教諭の免許を取りました。

専門学校で3年間学んだ後、島に戻ってきて、国頭こども園で臨時職員として2年間働き、昨年4月に本採用となりました。

大城こども園

【 大城こども園 】

いざ保育士として働いてみると

専門学校での実習では、子どもたちと触れ合うことが基本でしたが、いざ保育士として働いてみると、子どもたちが昼寝をしている間は連絡帳などの書き物、子どもたちが帰った後は園内行事や季節の飾り物などイベントの準備があります。
保育士として働く前は予想もしていなかったので、びっくりしました。

子どもたちと触れ合う時間と同じくらいの時間を、保育計画等の事務や保育教材等の準備に費やしています。やればやるだけ子どもたちの反応が違います。子どもたちの笑顔みたさに時間を忘れてやっています。

お楽しみ会

【 お楽しみ会 】

子どもの変化に気づく

今、担当しているクラスは、1、2歳児合同クラスで通常は12名ですが,火曜日と木曜日はリフレッシュ体験で2名増え14名になります。私と先輩保育士のペアとサポート1名の体制で子どもたちと楽しくやっています。

通常、1日の流れは8時半に出勤し、子どもの顔色を確認しながら朝のお迎えをして、9時過ぎから朝のつどいが始まります。
ピアノに合わせて歌ったり踊ったりした後、朝の挨拶と点呼をします。10時前になるとおやつの時間、その後は外遊び、11時半から給食、歯磨き、着替えした後に12時半~14時半までお昼寝、着替え、トイレなどを済ませた後におやつを食べて、15時半~16時に外遊びとなります。

その間も子ども一人ひとりに合わせたトイレのタイミングや、子どもの様子をみるようにしています。
絵本読み聞かせ

外遊び

保育士としての喜び

2歳児は国頭こども園で経験がありましたが、今回1歳児は初めての担当だったため、当初は子どもが何を言っているのか理解できず大変でした。自分に同年齢の子どもがいることもあり、今はおおよそ理解できるようになりました。

子どもたちも4、5月にできなかったことが、少しずつの積み重ねでできるようになります。
例えば、ひとりで洋服を着ることができなかった子どもが、袖に手を通せるようになり、ひっくり返りながらも洋服を脱げるようになります。
子どもたちの成長を目の当たりにできるのは保育士としての喜びです。

短期間での成長はわかりにくいですが、1年間を通して成長がみられるので、日々の積み重ねは大事なことだと思います。積み重ねは子ども園だけではできず、「子ども園で今こんなことをがんばっているので家庭でもやらせてください」と保護者へ声かけをしています。


保護者との連携は、なかなか難しい部分もあり、お迎えの時になるべく保護者と1日の様子や出来事を話すようにしています。
保護者にどう伝えたらいいのか、ことばの使い方など日々勉強です。先ずは、先輩保育士のやり方を真似て自分なりのやり方を見出していこうと思っています。

島ならで保育

食が細く野菜が苦手という子どもが多いと聞きますが、島の子どもたちは好き嫌いが少なく野菜もよく食べます。子どもたちに聞くと、家庭でも良く食べているみたいです。おそらく家庭で野菜を作っていて野菜が身近というのもあるかもしれません。

おやつの時間

【 おやつの時間 】

外遊びでは裸足で遊びまわっている子どももいます。自由にさせていて自然児そのものです。
自分のクラスだけでなく上のクラスのお兄ちゃん、お姉ちゃんと一緒に遊んでいるのも島ならではだと思います。


私自身、体を動かすのが得意なので、運動やダンスなど取り入れた保育ができたらいいなと思っています。
徐々に自分らしさを出していき、島の子育て環境に貢献できたらと思っています。

子育て紹介ページ

 




山本優一さん

仕事レポート7:家畜人工授精師・受精卵移植師 山本 優一さん

家畜人工授精師・受精卵移植師 山本 優一さん

沖永良部島では畜産が盛んです。人工授精によって産まれた子牛は、畜産農家で大事に育てられセリ市にかけられ、全国の肥育農家の元にわたります。今回、人工授精師の山本優一さんからお話を伺いました。寡黙な感じの山本さんですが、いざ話が始まると目を輝かせて熱く語ってくれました。

山本優一さん

【 山本 優一さん 】

人工授精師になったきっかけ

15歳で島を離れ鹿児島市内の高校へ、その後、琉球大学の農学部に進学しました。
大学4年の夏休みに、鹿児島県主催の人工授精師の講習会が約1カ月間あり、父親が人工授精師をやっていたこともあり、軽い気持ちで講習会を受けに行きました。この講習会に参加したのがきっかけというか転機でした。

講習会では牛の繁殖や授精などの話を聞き、宿に戻って夜は自分なりに理解するために教本を読み返しました。講習を受けていく中で、授精師の世界に惹かれ授精関係に携わりたいと思いました。

今でも使っているノート

【 人工授精師講習会で使ったノート 】

ひとつの命を誕生させることができる技術

大学卒業後、鹿児島県肉用牛改良研究所にて1年間研修生として勉強させてもらいました。
入所時に獣医の先生から「なぜ、人工授精師になりたいのか」という質問に対して「人工授精師の仕事は、ひとつの命を誕生させることができる技術、命と向き合う重みを感じるとともにやりがいがある仕事、技術を磨きながら成長したい」と22歳の僕は答えました。今、話すと恥ずかしくなりますね。

研究所での1年間は、自分の人生の中で最も成長した時期でした。
牛に対する知識、経験が乏しかった自分に対して、獣医の先生をはじめ職員の皆さんが丁寧に教えてくれました。その中でも繁殖技術については多くのことを学びました。

牛に触れ、牛を診る日々

1年間の研修を終え、宮崎県の受精卵関係を主にしている獣医の先生の元で、1年3カ月助手として働かせてもらいました。農家さん廻りの先生に同行し、受精卵移植についての知識を得ることができ、この時期に受精卵移植師の免許を取得しました。
この頃から、将来実家に帰ることを意識し始め、知識以上に技術面での経験を積みたいと思いました。

山本さん家の牛舎

【 山本さん家の牛舎 】

その後、鹿屋市にある種雄牛、生産牛、肥育牛を飼育している会社に就職しました。そこでは、毎日のように牛に触れ、直腸検査や授精、受精卵移植を行うことができました。

2年経った頃に、父親から「そろそろ帰ってこい」と言われ、しぶしぶ島に帰ってきましたがまだまだ経験を積みたいと思っていたので、帰ってくるのが少し早かったのかなと思うこともあります。

農家さんに強く伝えたい

我が家では、10年前に牛舎を増設し生産牛70頭まで増やしました。

せり市が2カ月に1回行われ、毎回、生後8カ月齢前後の牛を10頭ぐらい出しています。分娩監視カメラを導入しており、出産予定の牛を携帯で監視できる態勢をとっています。

分娩監視カメラ

【 分娩監視カメラの画像 】

ほとんどの牛は自然分娩です。昔のように引っ張る牛は10頭に1頭です。無理矢理引っ張ると、親牛の体内は傷つき、出血もあり、その後の種付けが悪くなります。子牛にもダメージが大きく、その後の発育に影響します。そのことを授精師として農家さん廻りをしている時に伝えているのですが、なかなか浸透しないのが現状です。

待ちきれず引っ張り出す農家さんの気持ちも理解できるのですが、できれば自然分娩ということを少しずつ伝えて行こうと思います。

受精卵移植の頭数を増やしていきたい

今後は、受精卵移植の頭数を増やしていきたいと思っています。受精卵移植の知識、技術を習得し、興味のある分野なので始めたのですが、ここ1年位頭数が伸びていません。

授精師は牛の発情がくると、専用のビニール手袋を着用し牛の直腸に手を入れ、直腸壁を通して子宮、卵巣を触診します。その上で、授精できる状態かどうかを判断します。

凍結精子が入っている液体窒素ボンベ

【 凍結精子が入っている液体窒素ボンベ 】

受精卵移植をする場合、授精できる牛をあえて授精せず1週間後に移植します。
移植は高能力の牛を生産できる技術ですが、授精の受胎率7割に比べて4割と低いのがデメリットです。

牛の発情時に「受精卵移植しませんか?」と農家さんに提案し、承諾を得て1週間後に受精卵移植を行います。しかし、1週間後受精卵移植となった時に、状態が悪く移植できない場合があります。その場合、農家さんとしては発情した時に授精しておけばよかったとなります。
受精卵移植が受け入れられない理由の1つです。自分から移植を提案して、1週間後に断念する状況になるのは、本当に申し訳ないです。

この状況をどうにかしたい!自分にできることは何かを考えた結果、移植できる状態の牛なのかを判断できる技術を磨くことだと思いました。
今年からやっていることは、我が家の牛をサンプルに、発情時にこの牛は1週間後に移植できる状態か予想を立てて観察し記録する、そして1週間後に状態を診て答え合わせをする、この一連の作業の頭数を増やして判断力を磨いていくことに注力しています。

判断力が上がれば、農家さんに自信を持って受精卵移植を進めることができます。難しい技術ですが、少しずつ移植頭数を増やせるように頑張っていきたいです。

農家さんに信頼される授精師を目指す

現在、島には授精師が13人います。その半分が30歳前後という若い授精師です。
定期的な集まりや飲み会でも人工授精、受精卵移植の話をすることがあります。情報交換の場になり楽しいですね。

山本さん

農家さん廻りの時は、農家さんと話をするようにしています。「牛がこういう状態だけど、どうしたらいいのか?」と相談を受けたり、「こんなことがあった」と教えてもらうこともあり日々勉強です。

自分が今、授精師として活動できているのは、これまでに父親が何十年も授精師として頑張ってきてくれたおかげであり、何よりも農家さんのおかげだと感謝しています。

山本さん

この感謝の気持ちを忘れずに、牛の状態を診て農家さんに納得のいく説明ができ、信頼される授精師になりたいと思っています。

 




沖永良部島ケイビング連盟の仲間

仕事レポート6:一般社団法人沖永良部島ケイビング連盟 新納 佳恵さん

一般社団法人沖永良部島ケイビング連盟 新納 佳恵(にいろ よしえ)さん

珊瑚礁でできている沖永良部島には、大小300を超える洞窟があり「洞窟の聖地」と言われています。
今回、洞窟探検のガイドをされている沖永良部島ケイビングガイド連盟の新納佳恵さんからお話を伺いました。
ハンサムウーマンという言葉がピッタリの佳恵さんでした。

新納 佳恵(にいろ よしえ)さん

【 新納 佳恵(にいろ よしえ)さん】

ケイビングガイドになったきっかけ

平成22年に隣町の知名町で、島の洞窟を活かしたガイド育成を目的に、「ケイビングガイド人材育成研修」があり、
主人がその研修に参加していて、とても楽しそうだったんですね。
そんな主人を見て、自分もやってみたいと思ったのです。
運動バカといわれるほど、スポーツが大好きで体力を持て余していたところだったので、もちろん、次クールを受講しました。

新納佳恵さん

講師の社団法人日本ケイビング連盟の吉田勝次氏から、洞窟の楽しさと危険な話を初め、写真の撮り方、接客の心得などの座学と、実際に洞窟に入ってケイビングの技術やレスキュー訓練などの安全面の指導を受けました。

いよいよガイド業

翌年の平成24年からガイドを始めました。
1年目はお客さんが少なく、現場での研修の日々でした。それはそれで部活動みたいで楽しか ったです。

コースは、初心者向けの「リムストーンケイブコース」のみでした。
その後平成26年に、ダイナミックな自然の造形美を体験でき、探検感を味わいたい方向けの「大蛇洞コース」、ワンランク上を目指す方向けの「水連洞コース」、上級者向けの沖永良部島最高峰の洞窟「銀水洞コース」の3つが作られました。

装備:ウエットスーツ
装備:つなぎ

ウェットスーツの上につなぎを着てひざ当てをして、ヘルメットにヘッドランプの装備で、い ざ洞窟の中へ。

洞窟
洞窟
手つかずの自然のままの洞窟の中はドキドキワクワクの連続で、まさに探検そのもので楽しいです。
それ以上に、自然が創り出した風景は言葉では言い表せないくらいの美しさです。
この楽しさ、美しさを、多くの方に知ってもらいたいと思いました。

徐々にお客さんも増えてきて

入洞者が徐々に増えてきて、平成25年は前年の約3倍の入洞者でした。

明らかにこれまでとは違うと感じたのは、沖永良部島の洞窟が、ワンダートリップの日本の絶 景・秘境100選に選ばれてからですね。テレビなどのメディアでも紹介され、絶景を目指して全国からお客さんが訪れるようになりました。

ライティングされた洞窟

昨年は24年の約30倍の入洞者となりました。8月はほぼ毎日、洞窟に入っていました。

リピーターも増えてきましたね。口コミでお客さんがいらっしゃるのが嬉しいです。
他地域で洞窟を体験した方が、ガイドの方に薦められていらっしゃるケースもあり、ケイビンガイド冥利に尽きます。

新納佳恵さん

何よりも、洞窟に魅せられた人が目に見えて増えてきたことが嬉しくてたまりません。

お客さんに感動してもらうために

スキルアップは常に意識しています。

レスキュー訓練などの危機管理に関するスキルはもちろんですが、ライティングや写真撮影の勉強会もやっています。
例えば、洞窟の中は日によって水量が変わるので、ライトを置く位置や角度を把握し、いかに短時間で効果的なライティングをするか実地で行います。


昨秋は、岐阜県であったスキルアップ研修会に参加しました。他の地域のケイビングガイドの 方と洞窟で大変な思いをすると連帯感が生まれ、仲間って感じになります。その仲間が沖永良部島にも来てくれました。

ライティング準備

体力づくりも意識しています。
トレーニング用に自宅にボルダリングのウォールを設置しました。室内にあると思わず登ってしまいますね。

ボルダリング
ボルダリング
インナーマッスルを鍛えるために、ピラティスも始めました。
スキルアップと体力づくりは、お客さんの喜んだ顔みたさに、これからもやり続けていきます 。

仕事を通して成長したい

ケイビング連盟の仲間とは、事あるごとにミーティングをやって、ガイドの気づ きを共有します。

沖永良部島ケイビング連盟の仲間

【 沖永良部島ケイビング連盟の仲間 】

ガイドを始めた当初からの仲間なので、お互い成長したなと思います。
自分自身、ケイビングガイドという仕事を通して成長したいと思っています。

新納佳恵さん

先日、エコツアーガイド講習会に参加したのですが、もっと学びの機会を増やして行きたいと思っています。自分たちのスキル、学びが、島の子供たち、次の世代に繋がるようにがんばるぞ!と強く思いました。

一般社団法人沖永良部島ケイビングガイド連盟サイトリンク

お問合せ:0997-84-3335 080ー1756ー9087(直通)